消印の中の鉄道情景(54)西ヶ原四郵便局(東京都)
秋の房総キハ撮影記が一段落したところで...
大相撲十一月場所は、ちょっと不完全燃焼というか。あの横綱の振る舞い...
優勝回数がいくら多かろうとも、見ていて決して良い気分はしないのである。
休場者の多さと千秋楽を待たずに、あっさり優勝が決まってしまっただけが
ひとりの相撲好きとしてのモヤモヤ感の原因では無い。
まさに“土俵外”ばかり盛り上がってしまって。何だかマスコミの無意味なバカ騒ぎ
だけが先行し“協会という巨悪に、たった一人で闘いを挑む正義の親方”みたいな...
何だが安っぽいドラマのようなストーリーだけが先行してしまって。
選挙など政治を巡る動きを見ていても思うのだが、「良いもの」と「悪いもの」の
二元論的な捉え方でしか物事を見ることができない人が増えている...のだろうか。
今回の件だって、そんな“純”な話では決して無いことは明らかだと思うが...。
TVのことを念頭に「1億総白痴化」という流行語を生み出した人がいたように思うが
そうだとすれば、ネットの普及というのは...、そんなことを思う今日この頃。
<変態鉄>だって、<鉄>なことと、「カワイイおねーちゃんと...」という妄想、
それだけで生きているわけでは無いのである。
さて、冒頭から意味不明な愚痴にもならない戯れ言から入ってしまったが...

今日は、東京都北区の閑静な住宅街、その中の小さな郵便局で見つけた風景印を
ご紹介したい。…… ……
2017年10月27日(金)晴れ
大塚駅前から乗った都電荒川線、ほどなく閑静な住宅街の中にある西ヶ原四丁目電停に
着く。11時過ぎ、ここで下車。

【2017年10月27日11時17分】 都電荒川線・西ヶ原四丁目電停
この電停の先、滝野川一丁目側には、良い感じのS字カーブがある。
100年前、荒川線の前身、王子電軌が開業した頃からある鉄骨架線柱、都電全盛期に
都内で広く見られたタイプの濃緑色の架線柱。さらに線路際まで建て込んだ家並み...
「良いねぇ!!」と、勇んでカメラを構えるのだが...
画になるシーンを撮れた試しがないのである。
都電荒川線を指して「下町の電車」というが、荒川線の半分近くの区間は武蔵野台地の
東の縁、いわゆる「山の手」に沿うように敷かれていて。意外なほど起伏に富んだ
地形の区間を走っているのである。片側1車線、ちょっと曲がりくねったアップダウンの
ある住宅街の道を歩くこと10分少々。

【2017年10月27日11時30分】 東京都北区西ケ原・西ヶ原四郵便局
「道を間違えたかなぁ...」と思う頃に小さな郵便局が見つかるのである。
その風景印がコレ。

「東京ゲーテ記念館」というのは西ヶ原にある私立の資料館である。
尤も、ドイツ文学など<変態鉄>には縁のないものであって...
それより、その左には都電が描かれている。
この意匠、なかなかその電車の特徴を掴んでいる。そう、いまはなき7500形更新車。
過去を引きずらないタイプなのか、都交通局というのは引退した電車の保存というのは
ほとんどしない事業者のようで...(そういう面では大阪などとは対照的。)
“荒川線近代化”の立役者でもある7500形の保存車というのも少ないのである。
戦後は1000の倍数の形式が多かった都電。「7500」という半端な形式は...

【2012年8月31日14時01分】 東京都小金井市・江戸東京たてもの園
昭和40年台までに路線撤去を進めて、全廃する方針が決まっていた都電。
新車の投入を控えていたが、老朽車の置き換えは急務だった...ということで
既存の7000形と8000形の“いいとこ取り”で作った、“最後の新形式”が7500形。
黄色に赤帯、ステップ付きの典型的な路面電車スタイルで登場した。
決定通り、路線撤去は進められたが、最後の最後に方針転換。27・32系統が「荒川線」
として存続することが決定すると、車齢の浅かった7500形は荒川車庫に集結。
今夏まで頑張った7000形が、昭和53年の「荒川線近代化」に合わせて、車体の載せ替え
を含む大改造をしたのに対して、車齢の浅い7500形は最低限の改造だけで...

【2012年3月11日13時09分】 東京都荒川区・都電おもいで広場
その姿で「おもいで広場」に展示されているのだが...
<変態鉄>が小学生の頃、はじめて荒川線に乗った前後に、7500形の冷房化改造が
開始されて。このときに角張った新車体に載せ替えたのだった。

【1993年9月】 都電荒川線・王子駅前-飛鳥山
7000形と並んで都電の主力車の座に君臨。いつ行っても、当たり前のように来るので
フィルムがもったいないと、シャッターを切らなかった<変態ガキ鉄>。
当時はそんな存在だった。

【1993年6月9日】 都電荒川線・飛鳥山-王子駅前(後追い)
全廃は2011年春。予定されていたお別れイベントは、あの震災で中止となったのだった。
「飛越ゴハチ」など国鉄型キハに夢中だった<変態鉄>、この頃は都電荒川線は
ノーマークだった。7500形の写真もネガしか残っていなかったのである。

【2012年8月15日14時30分】 東京都台東区池之端・池之端児童遊園
ちなみに、この冷改後の姿で残されているのは、池之端児童遊園の7506号車だけ。
5年前の夏に、チラッと見ただけ。久々に行ってみようか...
…… ……
この記事を書くのに、HDDに保存した都電の写真のデータを漁っていたら...

【2012年8月15日14時30分】 都電荒川線・栄町電停
快晴の栄町電停で、2両の7000形の離合シーンを撮っていた。(覚えてないぞ!!)
7000形は“当たり前の存在”だった時期から、しっかり記録しておいて良かった...
そう思っている。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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大相撲十一月場所は、ちょっと不完全燃焼というか。あの横綱の振る舞い...
優勝回数がいくら多かろうとも、見ていて決して良い気分はしないのである。
休場者の多さと千秋楽を待たずに、あっさり優勝が決まってしまっただけが
ひとりの相撲好きとしてのモヤモヤ感の原因では無い。
まさに“土俵外”ばかり盛り上がってしまって。何だかマスコミの無意味なバカ騒ぎ
だけが先行し“協会という巨悪に、たった一人で闘いを挑む正義の親方”みたいな...
何だが安っぽいドラマのようなストーリーだけが先行してしまって。
選挙など政治を巡る動きを見ていても思うのだが、「良いもの」と「悪いもの」の
二元論的な捉え方でしか物事を見ることができない人が増えている...のだろうか。
今回の件だって、そんな“純”な話では決して無いことは明らかだと思うが...。
TVのことを念頭に「1億総白痴化」という流行語を生み出した人がいたように思うが
そうだとすれば、ネットの普及というのは...、そんなことを思う今日この頃。
<変態鉄>だって、<鉄>なことと、「カワイイおねーちゃんと...」という妄想、
それだけで生きているわけでは無いのである。
さて、冒頭から意味不明な愚痴にもならない戯れ言から入ってしまったが...

今日は、東京都北区の閑静な住宅街、その中の小さな郵便局で見つけた風景印を
ご紹介したい。…… ……
2017年10月27日(金)晴れ
大塚駅前から乗った都電荒川線、ほどなく閑静な住宅街の中にある西ヶ原四丁目電停に
着く。11時過ぎ、ここで下車。
【2017年10月27日11時17分】 都電荒川線・西ヶ原四丁目電停
この電停の先、滝野川一丁目側には、良い感じのS字カーブがある。
100年前、荒川線の前身、王子電軌が開業した頃からある鉄骨架線柱、都電全盛期に
都内で広く見られたタイプの濃緑色の架線柱。さらに線路際まで建て込んだ家並み...
「良いねぇ!!」と、勇んでカメラを構えるのだが...
画になるシーンを撮れた試しがないのである。
都電荒川線を指して「下町の電車」というが、荒川線の半分近くの区間は武蔵野台地の
東の縁、いわゆる「山の手」に沿うように敷かれていて。意外なほど起伏に富んだ
地形の区間を走っているのである。片側1車線、ちょっと曲がりくねったアップダウンの
ある住宅街の道を歩くこと10分少々。
【2017年10月27日11時30分】 東京都北区西ケ原・西ヶ原四郵便局
「道を間違えたかなぁ...」と思う頃に小さな郵便局が見つかるのである。
その風景印がコレ。

「東京ゲーテ記念館」というのは西ヶ原にある私立の資料館である。
尤も、ドイツ文学など<変態鉄>には縁のないものであって...
それより、その左には都電が描かれている。
この意匠、なかなかその電車の特徴を掴んでいる。そう、いまはなき7500形更新車。
過去を引きずらないタイプなのか、都交通局というのは引退した電車の保存というのは
ほとんどしない事業者のようで...(そういう面では大阪などとは対照的。)
“荒川線近代化”の立役者でもある7500形の保存車というのも少ないのである。
戦後は1000の倍数の形式が多かった都電。「7500」という半端な形式は...
【2012年8月31日14時01分】 東京都小金井市・江戸東京たてもの園
昭和40年台までに路線撤去を進めて、全廃する方針が決まっていた都電。
新車の投入を控えていたが、老朽車の置き換えは急務だった...ということで
既存の7000形と8000形の“いいとこ取り”で作った、“最後の新形式”が7500形。
黄色に赤帯、ステップ付きの典型的な路面電車スタイルで登場した。
決定通り、路線撤去は進められたが、最後の最後に方針転換。27・32系統が「荒川線」
として存続することが決定すると、車齢の浅かった7500形は荒川車庫に集結。
今夏まで頑張った7000形が、昭和53年の「荒川線近代化」に合わせて、車体の載せ替え
を含む大改造をしたのに対して、車齢の浅い7500形は最低限の改造だけで...
【2012年3月11日13時09分】 東京都荒川区・都電おもいで広場
その姿で「おもいで広場」に展示されているのだが...
<変態鉄>が小学生の頃、はじめて荒川線に乗った前後に、7500形の冷房化改造が
開始されて。このときに角張った新車体に載せ替えたのだった。

【1993年9月】 都電荒川線・王子駅前-飛鳥山
7000形と並んで都電の主力車の座に君臨。いつ行っても、当たり前のように来るので
フィルムがもったいないと、シャッターを切らなかった<変態ガキ鉄>。
当時はそんな存在だった。

【1993年6月9日】 都電荒川線・飛鳥山-王子駅前(後追い)
全廃は2011年春。予定されていたお別れイベントは、あの震災で中止となったのだった。
「飛越ゴハチ」など国鉄型キハに夢中だった<変態鉄>、この頃は都電荒川線は
ノーマークだった。7500形の写真もネガしか残っていなかったのである。
【2012年8月15日14時30分】 東京都台東区池之端・池之端児童遊園
ちなみに、この冷改後の姿で残されているのは、池之端児童遊園の7506号車だけ。
5年前の夏に、チラッと見ただけ。久々に行ってみようか...
…… ……
この記事を書くのに、HDDに保存した都電の写真のデータを漁っていたら...
【2012年8月15日14時30分】 都電荒川線・栄町電停
快晴の栄町電停で、2両の7000形の離合シーンを撮っていた。(覚えてないぞ!!)
7000形は“当たり前の存在”だった時期から、しっかり記録しておいて良かった...
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