2008年頃 特急「ワイドビューひだ6号」車内放送
1978年(昭和53年)生まれの<変態鉄>。小学生の頃は“国電”で
出かけることも少なくなかった。国鉄時代の列車の記憶も朧気ながら。
でも、当時、TVのニュースで「国鉄」といえば“スト”の話題か、
“余剰人員”の話題か、不祥事か...何だか深い闇のような...
恐いところなのだろうか...幼心にそんなことを思った記憶がある。
その国鉄が分割民営化されたのは1987年(昭和62年)4月。
新生「JR」の発足が大いに話題になった頃、小学生だったのである。
中学に入ると行動範囲も広がってきて。おりしも、父が単身赴任となり
そこを“ベース”にして、あちこちと出かけていた頃。

【2011年2月8日12時22分】 高山本線・千里-速星(後追い)
1990年代前半は、まだ景気が良かったこともあるのだろうか!?
JR各社は競い合うように意欲的な新型特急列車を登場させており。
その中でも、<変態ガキ鉄>の“お気に入り”だったのが、
キハ85系「ワイドビューひだ号」だった。
でも、その登場からもすでに四半世紀が経過し、来年度以降、新型車が
登場するのだとか。JR世代の車両もすでに老朽置換が進められる時代に
なっており。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
というわけで、ちょうど10年ほど前に録音したのは富山駅を朝8時に発つ
「ひだ6号」名古屋ゆき。基本編成は高山でつなぐので付属編成3両の
ミニ特急である。
この頃は記録も記憶も曖昧になっていて。ブログもつけていなかった
時期なので、この日、乗車した「ひだ」号の写真も撮っていない有様。
名古屋駅で降りて、素直に新幹線に乗り換えて東京に戻ったのか、
はたまた、どこかに“転戦”したのかも記憶が全くないのである。
…… ……
<変態鉄>の部屋の棚の引き出しに、大量のパンフレット類が保管
されている。<ガキ鉄>の頃に蒐集したもののの中には今では貴重な
資料も含まれているのだが、それら、決して保存状態が良いわけでなく。

その中に4つ折りA4版のパンフレットがある。
「走るハイ・コーディネート・サロン ワイドビューひだ」
というカラー印刷のもの。1990年に登場し、国鉄時代からのキハ82系を
置き換えた、キハ85系「ワイドビューひだ」の広告パンフである。
モデルのお姉さんたちのメイクや洋服に四半世紀の時の流れを感じる。
「車内公衆電話」とか「ハイデッカー構造」とか...
いまでは聞かなくなったものが、当時は“最新”ともてはやされた。
JR東海の特急に「ワイドビュー」という“冠詞”がついたのも、
この列車が初めて。座席部分を通路より数センチだけ高床にしたことと
大型ガラスの採用でシートの肘掛け付近まで窓ガラスがある...
国鉄型を見慣れていると、ちょっと驚きの新車だったのである。
もう1点。同じA4版でももうちょっと上質紙を使っているのは、
この「ワイドビューひだ」に使われる、キハ85系のパンフレット。

「風のようだ」が、この新型特急のキャッチコピーだったようで、
両方のパンフに見ることができる。

“電気車より開発が数段、難しい”といわれ、国鉄技術陣が試行錯誤を
繰り返して独自開発してきたのが、戦前から続く国鉄ディーゼル動車の
歴史だった。
(国鉄末期から船舶エンジンを流用した車両などは製作されていたが...)
だが、それを覆す(?)、「カミンズ社製エンジン」の採用。
イギリスの工場で製造された輸入エンジンを...というのも、
当時としては驚きをもって紹介されていたと記憶している。
「最高速度120 km/h、勾配20‰区間での均衡速度100 km/h」と冒頭に
記述しているあたり、当時のJR東海の意気込みが伝わってきそうな。
車体外観も。ステンレス車体で前面を白い鋼製パーツ、側面には
コーポレートカラーのオレンジ色の帯...という出で立ちは、それから
20年以上が経過して、JR東海の在来線車両全般の“統一デザイン”と
なっている。
1991年の夏休みに初めて乗車。(お腹を壊して、ほとんどトイレに居た)
その後も、富山への往復に何度か利用する機会があった。
富山とはいっても...
普段、高山本線と縁があるところに居たわけでもなく。

【2008年3月5日8時27分】 高山本線・越中八尾駅
やはり、この特急にカメラを向けるキッカケとなったのは、こちら。
そう「飛越ゴハチ」を撮るようになってからだった。
でも...
中間車(運転台無し)と先頭車はあるものの、キハ85系ならば連結は
自由なのがディーゼル動車の特色。名古屋-岐阜-高山間は、最大で
9両編成だが、飛騨地方北部と富山県の山間部を通る高山以北は3両の
ミニ編成での運転が中心。高山・岐阜側は100番台の厳めしい幌付きの
先頭車なのが、「富山ひだ」の特徴。

【2008年3月4日8時21分】 高山本線・速星-千里(後追い)
高山以南の区間でも引き続き最後部となる10号車は、パンフにもある
「ワイドビュー」の名にふさわしい(?)、前面眺望の効く大型ガラスの
運転台を備えたキロ85形が使われている。(下り=奇数便の先頭)

【2010年9月2日8時35分】 高山本線・笹津-楡原
笹津の神通川鉄橋を渡る姿を撮ったのは、「おわら臨」で年に一度だけ
老兵キハ58系が越中八尾-猪谷の山岳区間に乗り入れる日。
やはり、“おわら風の盆”による多客。こちらも上り方先頭に
キハ85 100番台を1両増結、本来の編成の前側に普通車が1両多く付いて
いたのだった。
…… ……
朝8時前の富山駅。まだホームが地平だった頃である。
確か、朝8時の「ひだ6号」は高山線専用の欠き取りホームではなく、
北陸線のホームからの発車だったと記憶している。
隣のホームには越後湯沢ゆき「はくたか」、大阪ゆき「サンダーバード」
を待つ長い列ができている中、乗り込む乗客もわずか。
<変態鉄>は、それを狙っていた。
“飛越ゴハチ”を撮るとき、「大抵、グリーン車は無人だ」と。

【2011年2月9日12時37分】 高山本線・富山駅
富山駅では見かけることのない、クリーム色のジャケットを着ている
のは、JR東海の車掌さん。猪谷-富山の富山県内の区間はJR西日本の
管内ではあったが、この当時、「ワイドビューひだ」は富山まで
JR東海の車掌さんが通し乗務だった。
ベテランの車掌さん、発車直前にMDレコーダとマイク片手に車掌室を
ノックして「車内放送を録音させてほしい」と無茶苦茶なお願いをする
<変態鉄>にイヤな顔ひとつせず、グリーン車に乗っていることも含め
許可をいただくことができた。
富山駅を発車するところから録音をスタート。ホームを離れると
そのまま神通川鉄橋を渡る。そのとき、車内の仕切り扉を開けて、
「じゃ、今から流しますからね」と声をかけてくれて。
JR東海の在来線特急に共通のメロディを流して車内放送。
録音もバッチリだった。西富山駅を通過するあたりで最後のメロディが
流れて。車掌さんにお礼を言って自由席に戻ったのだった。
…… ……
いつの間にか、富山駅の高山線ホームも高架化され。
富山駅に発着する最後の「特別急行列車」となったのが、
高山本線の「ワイドビューひだ」号。

【2009年3月18日6時15分】 北陸本線・富山駅
この姿を当たり前だと思っていた<変態鉄>にとっては、
いまの富山駅は、富山駅であると思えないのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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出かけることも少なくなかった。国鉄時代の列車の記憶も朧気ながら。
でも、当時、TVのニュースで「国鉄」といえば“スト”の話題か、
“余剰人員”の話題か、不祥事か...何だか深い闇のような...
恐いところなのだろうか...幼心にそんなことを思った記憶がある。
その国鉄が分割民営化されたのは1987年(昭和62年)4月。
新生「JR」の発足が大いに話題になった頃、小学生だったのである。
中学に入ると行動範囲も広がってきて。おりしも、父が単身赴任となり
そこを“ベース”にして、あちこちと出かけていた頃。
【2011年2月8日12時22分】 高山本線・千里-速星(後追い)
1990年代前半は、まだ景気が良かったこともあるのだろうか!?
JR各社は競い合うように意欲的な新型特急列車を登場させており。
その中でも、<変態ガキ鉄>の“お気に入り”だったのが、
キハ85系「ワイドビューひだ号」だった。
でも、その登場からもすでに四半世紀が経過し、来年度以降、新型車が
登場するのだとか。JR世代の車両もすでに老朽置換が進められる時代に
なっており。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
というわけで、ちょうど10年ほど前に録音したのは富山駅を朝8時に発つ
「ひだ6号」名古屋ゆき。基本編成は高山でつなぐので付属編成3両の
ミニ特急である。
この頃は記録も記憶も曖昧になっていて。ブログもつけていなかった
時期なので、この日、乗車した「ひだ」号の写真も撮っていない有様。
名古屋駅で降りて、素直に新幹線に乗り換えて東京に戻ったのか、
はたまた、どこかに“転戦”したのかも記憶が全くないのである。
…… ……
<変態鉄>の部屋の棚の引き出しに、大量のパンフレット類が保管
されている。<ガキ鉄>の頃に蒐集したもののの中には今では貴重な
資料も含まれているのだが、それら、決して保存状態が良いわけでなく。

その中に4つ折りA4版のパンフレットがある。
「走るハイ・コーディネート・サロン ワイドビューひだ」
というカラー印刷のもの。1990年に登場し、国鉄時代からのキハ82系を
置き換えた、キハ85系「ワイドビューひだ」の広告パンフである。
モデルのお姉さんたちのメイクや洋服に四半世紀の時の流れを感じる。
「車内公衆電話」とか「ハイデッカー構造」とか...
いまでは聞かなくなったものが、当時は“最新”ともてはやされた。
JR東海の特急に「ワイドビュー」という“冠詞”がついたのも、
この列車が初めて。座席部分を通路より数センチだけ高床にしたことと
大型ガラスの採用でシートの肘掛け付近まで窓ガラスがある...
国鉄型を見慣れていると、ちょっと驚きの新車だったのである。
もう1点。同じA4版でももうちょっと上質紙を使っているのは、
この「ワイドビューひだ」に使われる、キハ85系のパンフレット。

「風のようだ」が、この新型特急のキャッチコピーだったようで、
両方のパンフに見ることができる。

“電気車より開発が数段、難しい”といわれ、国鉄技術陣が試行錯誤を
繰り返して独自開発してきたのが、戦前から続く国鉄ディーゼル動車の
歴史だった。
(国鉄末期から船舶エンジンを流用した車両などは製作されていたが...)
だが、それを覆す(?)、「カミンズ社製エンジン」の採用。
イギリスの工場で製造された輸入エンジンを...というのも、
当時としては驚きをもって紹介されていたと記憶している。
「最高速度120 km/h、勾配20‰区間での均衡速度100 km/h」と冒頭に
記述しているあたり、当時のJR東海の意気込みが伝わってきそうな。
車体外観も。ステンレス車体で前面を白い鋼製パーツ、側面には
コーポレートカラーのオレンジ色の帯...という出で立ちは、それから
20年以上が経過して、JR東海の在来線車両全般の“統一デザイン”と
なっている。
1991年の夏休みに初めて乗車。(お腹を壊して、ほとんどトイレに居た)
その後も、富山への往復に何度か利用する機会があった。
富山とはいっても...
普段、高山本線と縁があるところに居たわけでもなく。
【2008年3月5日8時27分】 高山本線・越中八尾駅
やはり、この特急にカメラを向けるキッカケとなったのは、こちら。
そう「飛越ゴハチ」を撮るようになってからだった。
でも...
中間車(運転台無し)と先頭車はあるものの、キハ85系ならば連結は
自由なのがディーゼル動車の特色。名古屋-岐阜-高山間は、最大で
9両編成だが、飛騨地方北部と富山県の山間部を通る高山以北は3両の
ミニ編成での運転が中心。高山・岐阜側は100番台の厳めしい幌付きの
先頭車なのが、「富山ひだ」の特徴。
【2008年3月4日8時21分】 高山本線・速星-千里(後追い)
高山以南の区間でも引き続き最後部となる10号車は、パンフにもある
「ワイドビュー」の名にふさわしい(?)、前面眺望の効く大型ガラスの
運転台を備えたキロ85形が使われている。(下り=奇数便の先頭)
【2010年9月2日8時35分】 高山本線・笹津-楡原
笹津の神通川鉄橋を渡る姿を撮ったのは、「おわら臨」で年に一度だけ
老兵キハ58系が越中八尾-猪谷の山岳区間に乗り入れる日。
やはり、“おわら風の盆”による多客。こちらも上り方先頭に
キハ85 100番台を1両増結、本来の編成の前側に普通車が1両多く付いて
いたのだった。
…… ……
朝8時前の富山駅。まだホームが地平だった頃である。
確か、朝8時の「ひだ6号」は高山線専用の欠き取りホームではなく、
北陸線のホームからの発車だったと記憶している。
隣のホームには越後湯沢ゆき「はくたか」、大阪ゆき「サンダーバード」
を待つ長い列ができている中、乗り込む乗客もわずか。
<変態鉄>は、それを狙っていた。
“飛越ゴハチ”を撮るとき、「大抵、グリーン車は無人だ」と。
【2011年2月9日12時37分】 高山本線・富山駅
富山駅では見かけることのない、クリーム色のジャケットを着ている
のは、JR東海の車掌さん。猪谷-富山の富山県内の区間はJR西日本の
管内ではあったが、この当時、「ワイドビューひだ」は富山まで
JR東海の車掌さんが通し乗務だった。
ベテランの車掌さん、発車直前にMDレコーダとマイク片手に車掌室を
ノックして「車内放送を録音させてほしい」と無茶苦茶なお願いをする
<変態鉄>にイヤな顔ひとつせず、グリーン車に乗っていることも含め
許可をいただくことができた。
富山駅を発車するところから録音をスタート。ホームを離れると
そのまま神通川鉄橋を渡る。そのとき、車内の仕切り扉を開けて、
「じゃ、今から流しますからね」と声をかけてくれて。
JR東海の在来線特急に共通のメロディを流して車内放送。
録音もバッチリだった。西富山駅を通過するあたりで最後のメロディが
流れて。車掌さんにお礼を言って自由席に戻ったのだった。
…… ……
いつの間にか、富山駅の高山線ホームも高架化され。
富山駅に発着する最後の「特別急行列車」となったのが、
高山本線の「ワイドビューひだ」号。
【2009年3月18日6時15分】 北陸本線・富山駅
この姿を当たり前だと思っていた<変態鉄>にとっては、
いまの富山駅は、富山駅であると思えないのである。
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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