続・2858、ニハチゴハチ?? ~ 一番好きなキハたち ~
開設以来の記事が、合計 2858 になったことを記念して、ちょっと書くつもりが...
古い写真を貼ってみようとネガを探してみたら、思ったより多くが“発掘”されて。
当の本人も「こんなの、撮ったかなぁ~」というのまで出てきて。

【2010年5月9日15時54分】 因美線・知和-美作加茂
「どこでも走っている」、それこそが“国鉄型”の“国鉄型”たる所以だった。
<変態ガキ鉄>がカメラを持って、あちこち撮り歩くようになった頃も、模型と
車内録音に興味が移り、カメラから遠ざかった時期も、キハ28 + キハ58 編成は
全国のローカル線で数え切れないほど出会っている。
でも...
そう、撮影技術がいまよりも拙かっただけでは無い。当たり前すぎて写真を撮ろうと
思わなくて。よく乗った割に写真は意外と少ないのだが...
…… ……
2000年台に入って「山陰本線高速化工事」が行われるまで、米子支社管内の
山陰本線は全列車が国鉄色の国鉄型...という夢のような状況だった。

【2002年8月頃?】 山陰本線・鳥取駅
鳥取駅に行けば、こんなシーンが当たり前の如く、展開されていた。
手前の浜坂ゆきはキハ47形、こちらは“首都圏色”、そして向かいのホームで
発車を待っているのは快速「とっとりライナー」である。
キハ28 + キハ58 の2両編成。他所で増えていたような近郊化改造車では無く
急行型本来の姿を残した2両編成はワンマン化の対象になっておらず。

【2002年8月頃?】 山陰本線・鳥取駅
快速列車といえど、当時は停車駅も絞られていて、まさに急行列車らしい走りで。
車内放送マニアの<変態鉄>としては、長距離列車を多く担当していた米子所の
ベテラン車掌さんによる車内放送も嬉しかった。
ヘッドマークを掲げて途中駅を通過していくキハ、全盛期の面影を見たような
気がしたのである。

【2002年8月頃?】 山陰本線・倉吉駅
だから、当時の<変態鉄>としては夜行バスで駆けつけて、朝4時台の初発列車に
マイク片手に乗り込んで、誰もいない車内で車内放送を録音させてもらったり...
(車内放送マイクの調子が悪い車輌だったので、録音は“不発”だったのだが...)
そんなときに駅のホームでスナップした写真が辛うじて残っていた。
でも、この当時の<変態鉄>としては異例中の異例。カメラ片手に何回か
走行シーンを撮りに訪れている。順光も逆光も分からずに、列車写真といっても
車体が思いっきりケーブルにかかっていたり、フレームアウトしていたり...
到底お見せできるようなシロモノでは無いのだが、失敗を繰り返す中で
何とか撮れたのが...

【2002年8月頃?】 山陰本線・青谷-浜村
こんな姿である。確か、夏の暑いときだった。駅から歩いて30分ほどかかった
だろうか、日本海を遠くに見ながら広い道を歩き続けて。ちょっとした“峠越え”
急な坂を下ったあたりの踏切付近で撮ったように覚えている。
その小さな集落の名前が「姫路」だったような記憶があって探してみたら
浜村と青谷の駅間。道順の朧気な記憶を地図サイトでたどると、たぶん浜村駅から
歩いていたような気がする。確か2~3回、行ったような...
お目当ては何と言っても「とっとりライナー」のキハ28 + キハ58編成。
てっきり、国鉄急行色が来るとばかりに思っていたら...

【2002年8月頃?】 山陰本線・青谷-浜村
こんなカラーの車輌もあってビックリだったのである。
そして、米子から先の区間、島根県内の山陰本線にもキハ28+キハ58の快速列車が
走っていた。

【撮影時期不詳】 山陰本線・米子駅
自分が訪れていた頃は「石見ライナー」という愛称。
確か以前は「しまねライナー」、後に「アクアライナー」に改称している。
「とっとりライナー」に比べて名称の変遷が激しいのだが...
こちらは<乗り鉄>中心だった。高架駅の松江駅を出て地平に下りると乃木駅の
付近から宍道湖を見ながら。出雲市駅を過ぎれば、語彙が貧弱な<変態鉄>には
うまい言い方が見つからないような、コバルトブルーの日本海が一面に広がって。
この写真の「石見ライナー」、撮ったのは米子駅だが(背後に伯備線運用のEF64が
写り込んでいる)、当時はまだホーム上に、豊洲市場で話題になった“ターレ”が
残っていたような記憶がある。すでに分割民営化から10年くらいが経過していたが
国鉄時代の“荷物列車”の痕跡が残っていたりして。いや~、懐かしい。
書いているうちに、アレコレ、思い出してしまうのである。

【撮影時期不詳】 山陰本線・益田駅(?)
その「石見ライナー」の終点は山口県との県境に近い益田駅だった。
そこから先は広島支社の管轄。その区間にも「ニハチゴハチ」は当たり前のように
走っていて。後ろにはチラッと国鉄急行色のキハ28・キハ58編成が...
米子車と下関車が並んで留置されているので、この写真はたぶん益田駅。
「いつか撮りたい」と思いつつ、タッチの差で間に合わず、撮りに行けばキハ40系に
置き換えられた後だった(→ こちら)...のは「広島支社色」のキハ28・キハ58。
(※ 拙ブログでは「過去記事に“nice!”“コメント”歓迎キャンペーン継続中です)
何度か色が変わっているはずだが、90年代後半には上半・黄色、下半・白に
統一されていて。「国鉄色」が良いと思いつつも、このカラーは好きだった。

【2000年12月12日】 山陰本線・小串駅
辛うじて撮っていたのは、小串駅でのキハ28形。ネガを見る限り、拙ブログの
はじめの方に...8年近く前に書いたこの記事。この録音をしてから、キハ列車を
乗り継いで向かったみたい(→ こちら)。
それにしても、駅の跨線橋から俯瞰で撮った1枚だが、何とも中途半端な撮り方。
もうちょっと横に動けばホーム屋根をかわせたような気がするのだが...
手前の車輌がキハ28形で、奥に隠れているのがキハ58形であることは屋根回りから
(水タンクの有無で)確認できるのは昨日の記事で触れたとおり。
でも、奥の「ゴハチ」、黄色に白の「広島支社色」ではないのである。

【撮影時期不詳】 芸備線・備後落合駅
キハ28・キハ58形が最後まで急行列車として急行料金を徴収する形で残った線区の
1つが広島県の芸備線だった。「ちどり」「たいしゃく」「みよし」と命名され
ニハチゴハチの編成で山間の区間を走っていた。
その急行運用に入る車輌は別のカラーで。(車内はそれほど変わらないが...)
こちらは「広島急行色」と言われ。白地に緑色の斜めのラインが印象的な。
ただ「広島急行色」は、当時のJR西日本らしさ(?)で。何だか一貫性が無く何度も
塗り替えられたのである。初期の緑濃淡に銀色のラインの広島支社色は見る度に
「趣味の悪い色だ~」と思って写真すら撮っていないのだが、最後、このカラーに
統一されてからは好感が持てるカラーだと思っていた。
そう、この芸備線急行というのは<変態鉄>が経験することができた数少ない
キハ58系の急行列車でもあった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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当の本人も「こんなの、撮ったかなぁ~」というのまで出てきて。
【2010年5月9日15時54分】 因美線・知和-美作加茂
「どこでも走っている」、それこそが“国鉄型”の“国鉄型”たる所以だった。
<変態ガキ鉄>がカメラを持って、あちこち撮り歩くようになった頃も、模型と
車内録音に興味が移り、カメラから遠ざかった時期も、キハ28 + キハ58 編成は
全国のローカル線で数え切れないほど出会っている。
でも...
そう、撮影技術がいまよりも拙かっただけでは無い。当たり前すぎて写真を撮ろうと
思わなくて。よく乗った割に写真は意外と少ないのだが...
…… ……
2000年台に入って「山陰本線高速化工事」が行われるまで、米子支社管内の
山陰本線は全列車が国鉄色の国鉄型...という夢のような状況だった。

【2002年8月頃?】 山陰本線・鳥取駅
鳥取駅に行けば、こんなシーンが当たり前の如く、展開されていた。
手前の浜坂ゆきはキハ47形、こちらは“首都圏色”、そして向かいのホームで
発車を待っているのは快速「とっとりライナー」である。
キハ28 + キハ58 の2両編成。他所で増えていたような近郊化改造車では無く
急行型本来の姿を残した2両編成はワンマン化の対象になっておらず。

【2002年8月頃?】 山陰本線・鳥取駅
快速列車といえど、当時は停車駅も絞られていて、まさに急行列車らしい走りで。
車内放送マニアの<変態鉄>としては、長距離列車を多く担当していた米子所の
ベテラン車掌さんによる車内放送も嬉しかった。
ヘッドマークを掲げて途中駅を通過していくキハ、全盛期の面影を見たような
気がしたのである。

【2002年8月頃?】 山陰本線・倉吉駅
だから、当時の<変態鉄>としては夜行バスで駆けつけて、朝4時台の初発列車に
マイク片手に乗り込んで、誰もいない車内で車内放送を録音させてもらったり...
(車内放送マイクの調子が悪い車輌だったので、録音は“不発”だったのだが...)
そんなときに駅のホームでスナップした写真が辛うじて残っていた。
でも、この当時の<変態鉄>としては異例中の異例。カメラ片手に何回か
走行シーンを撮りに訪れている。順光も逆光も分からずに、列車写真といっても
車体が思いっきりケーブルにかかっていたり、フレームアウトしていたり...
到底お見せできるようなシロモノでは無いのだが、失敗を繰り返す中で
何とか撮れたのが...

【2002年8月頃?】 山陰本線・青谷-浜村
こんな姿である。確か、夏の暑いときだった。駅から歩いて30分ほどかかった
だろうか、日本海を遠くに見ながら広い道を歩き続けて。ちょっとした“峠越え”
急な坂を下ったあたりの踏切付近で撮ったように覚えている。
その小さな集落の名前が「姫路」だったような記憶があって探してみたら
浜村と青谷の駅間。道順の朧気な記憶を地図サイトでたどると、たぶん浜村駅から
歩いていたような気がする。確か2~3回、行ったような...
お目当ては何と言っても「とっとりライナー」のキハ28 + キハ58編成。
てっきり、国鉄急行色が来るとばかりに思っていたら...

【2002年8月頃?】 山陰本線・青谷-浜村
こんなカラーの車輌もあってビックリだったのである。
そして、米子から先の区間、島根県内の山陰本線にもキハ28+キハ58の快速列車が
走っていた。

【撮影時期不詳】 山陰本線・米子駅
自分が訪れていた頃は「石見ライナー」という愛称。
確か以前は「しまねライナー」、後に「アクアライナー」に改称している。
「とっとりライナー」に比べて名称の変遷が激しいのだが...
こちらは<乗り鉄>中心だった。高架駅の松江駅を出て地平に下りると乃木駅の
付近から宍道湖を見ながら。出雲市駅を過ぎれば、語彙が貧弱な<変態鉄>には
うまい言い方が見つからないような、コバルトブルーの日本海が一面に広がって。
この写真の「石見ライナー」、撮ったのは米子駅だが(背後に伯備線運用のEF64が
写り込んでいる)、当時はまだホーム上に、豊洲市場で話題になった“ターレ”が
残っていたような記憶がある。すでに分割民営化から10年くらいが経過していたが
国鉄時代の“荷物列車”の痕跡が残っていたりして。いや~、懐かしい。
書いているうちに、アレコレ、思い出してしまうのである。

【撮影時期不詳】 山陰本線・益田駅(?)
その「石見ライナー」の終点は山口県との県境に近い益田駅だった。
そこから先は広島支社の管轄。その区間にも「ニハチゴハチ」は当たり前のように
走っていて。後ろにはチラッと国鉄急行色のキハ28・キハ58編成が...
米子車と下関車が並んで留置されているので、この写真はたぶん益田駅。
「いつか撮りたい」と思いつつ、タッチの差で間に合わず、撮りに行けばキハ40系に
置き換えられた後だった(→ こちら)...のは「広島支社色」のキハ28・キハ58。
(※ 拙ブログでは「過去記事に“nice!”“コメント”歓迎キャンペーン継続中です)
何度か色が変わっているはずだが、90年代後半には上半・黄色、下半・白に
統一されていて。「国鉄色」が良いと思いつつも、このカラーは好きだった。

【2000年12月12日】 山陰本線・小串駅
辛うじて撮っていたのは、小串駅でのキハ28形。ネガを見る限り、拙ブログの
はじめの方に...8年近く前に書いたこの記事。この録音をしてから、キハ列車を
乗り継いで向かったみたい(→ こちら)。
それにしても、駅の跨線橋から俯瞰で撮った1枚だが、何とも中途半端な撮り方。
もうちょっと横に動けばホーム屋根をかわせたような気がするのだが...
手前の車輌がキハ28形で、奥に隠れているのがキハ58形であることは屋根回りから
(水タンクの有無で)確認できるのは昨日の記事で触れたとおり。
でも、奥の「ゴハチ」、黄色に白の「広島支社色」ではないのである。

【撮影時期不詳】 芸備線・備後落合駅
キハ28・キハ58形が最後まで急行列車として急行料金を徴収する形で残った線区の
1つが広島県の芸備線だった。「ちどり」「たいしゃく」「みよし」と命名され
ニハチゴハチの編成で山間の区間を走っていた。
その急行運用に入る車輌は別のカラーで。(車内はそれほど変わらないが...)
こちらは「広島急行色」と言われ。白地に緑色の斜めのラインが印象的な。
ただ「広島急行色」は、当時のJR西日本らしさ(?)で。何だか一貫性が無く何度も
塗り替えられたのである。初期の緑濃淡に銀色のラインの広島支社色は見る度に
「趣味の悪い色だ~」と思って写真すら撮っていないのだが、最後、このカラーに
統一されてからは好感が持てるカラーだと思っていた。
そう、この芸備線急行というのは<変態鉄>が経験することができた数少ない
キハ58系の急行列車でもあった。(つづく)
(※)撮影時刻は写真データのものです。したがって、実際の時刻とは多少前後します。
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この記事へのコメント
いろんな色に塗られてましたが、やはり急行色がシンプルでいいです。
2000年代になっても山陰エリアには残っていたんですね。
乗っておけばよかった。
コメントありがとうございます。2000年台に入る頃に、それぞれ島根県と鳥取県が出資して、県内の山陰本線の“高速化工事”が行われ、その一環として新型車に置き換わりました。キハ58系の「とっとりライナー」としての活躍は2003年秋までだったようです。最高時速95キロというのは急行時代と変わらない俊足で、車内も急行仕様のままで、何と言っても「復刻版」の国鉄色では無く、一度も塗り替えられなかった、ホンモノの国鉄色でした。あまり撮っていないのですが、大学生の頃、何度も乗りに行きました。